ページトップへ

仕事から学んだこと – 第三回

ぼくの名前はヤン坊♪ぼくの名前はマー坊♪二人あわせてヤンマーだ・・…♪

有名な天気予報の歌の一節である。ヤンマー農機の仕事に携わった折、同社が天気予報のスポンサーになっているのは、顧客である農家の方々にとって、天気が生活の最大関心事であるからだとのお話を伺った。農機具、農家、天気、言われてみれば当たり前の関連であるが、農家の方々のためになるなら、との創業者の発想であるとお伺いした。eettoL

東京・大阪間の移動で東海道新幹線を利用し、まもなく東京駅に着くという頃、窓から八重洲の方角にYANMARの看板を目にすることができる。広告塔ではなく、東京駅前に事務所を構えられている所在を表示する看板である。元をたどれば、YANMARの本社所在地は「大阪市北区茶屋町 1-32」で、JR大阪駅前にある。大事な農家の方々が地方都市から出てきたときに迷わないようにと、わざわざ都心に事務所を構えられたという。

何気なく見聞きすることでも、実は深い意味があることが多いものでる。企業の社名、ロゴ、事業所の場所、組織名称等、それぞれの深い思い入れが込められているものも多く、驚きと発見の連続でもある。本来の仕事の合間の、ほんの潤滑油程度での語らいのつもりがついつい相手も興が乗って弾むことも少なくない。むしろ、最近はそうした話題にこそ企業や担当者の“顔”が見えてくるものでもある。

 

優良企業である花王の後藤社長が、WEDGE 10 月号に次の文章を寄せておられる。

経営に奇策なし 創業精神が企業を守る

「仕事をする上で、奇策などはない。ただ“基本”を徹底するだけだ」

(中略)

「事業の本来の目的は、決して単なる“お金儲け”ではない」

「世界経済が動乱期にある中で、一時も気持ちを緩めることなく社会に貢献すべく最善を

尽くせ」「いつの時代も社会の要求にピッタリと合う商品であり、経営であれ」

これらは、1927年、当時の2代目長瀬富郎社長の「就任の辞」から大前提となる企業

の目的を抜粋したものである。多少意訳はしたものの、若き2代目社長があらためて従業

員に語りかける熱い思いが伝わる文面が続く。(中略)

愚直なまでの創業精神の継承、この原理原則が、バブルに踊ることなく花王が成長軌道

を歩んできた秘密のようだ。(中略)

花王には、創業の精神が今も息づいている。

 

同誌によれば、後藤社長は、各工場や研究所、営業販社を回る際に、絶えず「健全な危機意識、止まることは後退すること」と従業員に説いているという。「花王はあまり階層を意識せず、上下隔てのない企業」と言われるように、昼食時には気軽に社員食堂に足を運んでは若手社員とコミュニケーションを当たり前に取られるという。それも「何も私が特別なのではなく歴代社長が実践してきたこと」とあっさり。商品開発にも「互いにその真剣なる研究を自由に発表し合う機関として毎月日を定めて協議会を開こう」という精神を今も実践しているに過ぎないと言われ、寄稿の最後には、「万事お互いにざっくばらんにやっていきましょう。私も思うままを遠慮なく語りますから、諸君もそうしていただきたい」と締めくくり、創業の精神を継承していることを強調している。

 

故・松下幸之助氏のエピソードも興味深い。氏は発表した新製品が「不評だ」と知ると、直接に工場に出向き、原因を技術陣とともに検討したという。さらに、もし品質に問題がないとなると販売店に出向き、ときに消費者にまで会って、とことん原因を自ら追究したといわれる。ある人が「あなたの地位ならば、担当の技術者や販売責任者を呼べばよいではないか」と言うと、「私が部下を呼んだら、部下は恐れて、私の所に来る前に回答を用意してくるでしょう。私のご機嫌を取るために、飾った報告をするかも知れない。

私は予備知識がないから、その解答をうのみにする以外にない。それを恐れる。だから自分のほうから出かけるんです」と答えたという(三鬼陽之助著『決断力』光文社)。

現場に足を運ぶ、時に耳に痛いマイナス情報にも耳を傾けられる、リーダーの資質としてよく言われる事でもある。しかしそれを自らに律するといってよいほど心がけたからこそ、松下氏は「経営の神様」とも称され、花王の「革新的な商品開発」(同社ホームページより)との経営理念も生まれるのであろうか。

創業の精神の継承が大事だと言う反面、めまぐるしいほどのスピードでの対応を求められる変化の時代。時代への対応に執着しすぎ、本来継承すべきはずの精神を否定している場合も多いのではないかと思う。大切なことは「不変」なものと「変化」していくものとを区別していくことではなかろうか。その意味で刻々と変化していく世の中で不動の一点を持っているか否か。今、自身が立っている位置をいかに知るかということでもあろう。

変化という「無常」を見据え、本質と目指すべき方向を見定めるポイントはそこにあると思う。いわば、座標軸である原点に視点をおいたとき、今の位置もはっきり見えてくる。時代の変化に翻弄されるのでなく、不断の価値をどう創造し続けるか。

古来、芸術、学問、商売等万般にわたって、「真」「善」「美」こそが追求すべき価値であるとされていた。しかし、ここから「真」を追放して「利」を取り入れ、利の追求だけでは自己中心的に陥るので、買い手のための美の価値創造・善の価値創造と合わせての価値創造を提唱する思想がある。(牧口常三郎「価値論」)愛媛大学教授の村尾行一氏は、かつてのバブル経済に象徴される営利第一主義に踊らされた社会の本質について、「牧口価値論」の観点から次のように喝破する。「金儲けを自己目的化するからである。いいかえれば、買い手の生命のための美の価値創造・善の価値創造と切り離された利だからである。こうした美・善の価値というなかみのない営利こそがバブル経済といってよい。その結果、社会に大損害を与えるばかりでなく、本人自身の破滅にもなりかねない」(牧口常三郎の『価値論』を読む-潮出版社)。もちろん、「牧口価値論」でも利の価値は極めて重い位置づけにあるが、美の価値や善の価値、言い換えれば、消費者の満足感であり、社会との共生/貢献、ということになろうか。企業といっても社会的存在を自覚し、「価値創造」の主体としての視点が、肝要ではないかと思う。

ヤンマーのホームページに行くと、トップページに「ヤン坊マー坊天気予報」へのリンクが貼ってあり、インターネットでも天気予報を見られるように施されてあった。創業者の精神は形を変えて、今でも脈打っているものと痛感した。

 

HBSへの問合わせ